| 講座/セミナー: [報告] 第七回JCAFEサロン「誰でもできる情報アクセスを」 | |||
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| □日 時:2005年6月27日(水) □場 所:PARC自由学校 □参加者数:12人 2005年7月27日にPARC自由学校で開かれた第七回JCAFEサロンでは、中村広幸さん(芝浦工業大学教授)から、社会的な意味でのアクセシビリティを考える必要があるというお話を中村さんからの問題提起というかたちでしていただきました。権利としてのアクセシビリティ 情報分野においてアクセシビリティは、情報そのものが生み出す壁や情報機器の使い勝手が生み出す壁を取り除くことによって、誰に対しても情報へのアクセスを保証しようとすることだと考えられがちです。そのような議論はアクセシビリティを、インターネットにおける技術面のテクニックの問題として語られることが少なくありません。 それが間違っているわけではないのですが、中村さんが考えるアクセシビリティは技術的な議論に回収されるものではありません。中村さんの考えるアクセシビリティは、「個人が自分の意志によって何かに到達する権利」です。よって,それは誰もが対等な立場から情報にアクセスすることを担保することであり、「情報社会における人権」として考えられるべきものです。 情報とは何か・その障害とは何か 情報は生み出す行動を情報行動というそうですが、それは新しい情報技術を用いることではありません。中村さんによると、日常生活における私たちの身振りのうちで情報行動でないものはないそうです。そして、その情報は私たちが日常生活を送るうえで必要不可欠なものとしてつかわないといけないものです。 ただ、それをつかっていくためには、日常においてさまざまな障害が発生しています。すでに挙げた情報そのものの壁と情報機器の壁の他に、制度的な面での壁もそれです。そして,そのような壁がある状態では、私たちが行使できるはずのアクセシビリティという権利が損なわれてしまうのです。 そのように権利を損なうことにつながる壁を取り除き、私たちがアクセシビリティという権利を行使することができる環境を整えることが、情報のアクセシビリティを担保することに他なりません。 情報アクセシビリティ/情報のアクセシビリティ その議論のために中村さんは、「情報アクセシビリティ」と「情報のアクセシビリティ」を区別されています。後者は、アクセシビリティという権利の保障に主眼があり、その上で情報分野についての議論をしていく際の言葉で、それに対して前者は、情報へのアクセスを技術的に支援しようとする議論をする際の言葉です。 このように区別するからといって中村さんは、前者の技術的支援を実現しようとする立場を否定されてはいません。アクセシビリティが担保される環境を生み出すためには制度を変革すると同時に、その権利行使を技術的に支援していく必要があるからです。 他者への想像力と環境の醸成 ただ、中村さんは、万人に対して一様に効果をもつ対応が技術によってもたらされるという楽観的な見通しはもっていません。現実の社会には多種多様な人びとがいるからです。そのような社会において技術的支援がなされていくためには、支援をする相手となる「他者」への想像力が不可欠になると指摘されていました。 情報のアクセシビリティが担保される環境において、その権利を行使することを技術的にサポートするためには、権利を行使する主体を「一般市民」というような幻想に押し込めてしまってはならない。リアリティのある「他者」を想像しなければならないと強調されていました。 環境を支える資金とそれを使いこなす主体 ![]() 内容のつまったお話をいただいた後には、さまざまなご意見を参加者の方からいただきました。そこでは、現実の制度もしくは社会構造の課題についての意見、情報のアクセシビリティが確保された環境を整備する資金は誰がもつのか、そしてその環境を十分につかいこなす権利主体はどうやって養成するのかといった意見をいただきました。 どれもすぐに答えが出るものではありませんが、お時間のあるときに、考えてみていただければ幸いです。 |
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2005年7月27日にPARC自由学校で開かれた第七回JCAFEサロンでは、中村広幸さん(芝浦工業大学教授)から、社会的な意味でのアクセシビリティを考える必要があるというお話を中村さんからの問題提起というかたちでしていただきました。
