| 講座/セミナー: [報告]第六回JCAFEサロン「『通信と放送の融合』の流れのなかで」(1) | |||
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□日 時:2005年6月22日(水) 2005年6月22日(水)にPARC自由学校にて開催された第六回JCAFEサロンでは、福冨忠和さん(GLOCOM教授)から、今日の放送産業と通信産業を考えていく上で忘れられがちになっている二つの点についてお話いただきました。そのひとつが、「放送と通信の融合」のなかでおざなりにされがちなメディアの公共性という問題です。もうひとつは、メディア・コングロマリットとそれへの規制の問題です。前半となる本稿では、メディアの公共性についての福冨さんからのお話を紹介します。 「放送と通信の融合」とは何か 「放送と通信の融合」は、両者が「融合」して何か新しいメディアや情報伝達のあり方が生まれるというよりも、放送と通信の境界線がなくなり、通信メディアを用いた放送が行われるようになるというものです。このような考えは、インターネットの普及に触発されて、大いに語られるようになってきました。 なぜメディアは公共性を求められるのか そのような「放送と通信の融合」においてメディアの公共性を議論するべきだと福冨さんが考えられるのは、放送メディアは公共性を担うものでなければならないという考えからです。通信メディアを通した放送が行われるのであれば、通信メディアも公共性を担うべきであるにもかかわらず、そのための議論がそれほどなされていないと考えられているようです。 放送メディアが公共性を担保しなければならない理由のひとつは、それが法的に定められているからです。電波を用いて情報を不特定多数に伝達する放送には、希少性の高い電波を用いるという理由から、電波法によって公共性を担うことが義務づけられてきたそうです。 しかし、それ以上に福冨さんが強調された理由は、メディアを通して情報を不特定多数に伝達すること、すなわちジャーナリズム活動が大きな社会的影響力を持つということでした。ジャーナリズム活動が社会に与える影響の大きさから、それは特定の政治権力や市場の思惑に操作されてはならず、つまりは公共性を担う必要があるそうです。 公共性に不可欠な資本 公共性をもったジャーナリズム活動をインターネットというメディアが担うことは、現状では難しいと福冨さんは考えられています。ジャーナリズム活動を行うには経済資本が無視できないからです。これは、ジャーナリストの技術の養成や取材、そして広範な聞き手に向けての情報伝達には、資金が不可欠になるという考えがあってのことです。だからといって、しかし、資本があれば放送メディアが公共性を担えるというようなナイーブな考えを福冨さんはもってはられません。 資本との結びつきを強調しているからといっても、福冨さんはウェブ上での市民メディア活動やブログを介した個人によるジャーナリズム活動を否定されている訳ではありません。それら営為が公共性をもつものとなるために必要不可欠となる主体や、その営為の質、そしてそれを支える資本がまだ不十分なままであることを指摘されているのであり、インターネットが公共性を担保するための条件を資本の面から考えようとされているのです。これらを考えないままに、インターネットという技術のもつ機能だけでもって放送との「融合」を語るのは不十分だと福冨さんは考えられているのです。 参加された方たちからの反応インターネットを介したジャーナリズム活動の公共性に関しては、参加された方たちのあいだでの議論が大いに盛り上がりました。福冨さんの考えに納得される方もいれば、「広範な視聴者を得ることが公共的だと言えるのか」といった疑問をもたれる方もいましたが、そのような議論が、「融合」を推進しようとしている人たちのあいだでも尽くされることが期待されてなりません。 ところで、ジャーナリズム活動の公共性と資本によるその支援を考える際に目を配らなければならないのが、その資本のあり方を左右するメディア・コングロマリットの動向だそうです。後半では、メディア・コングロマリットとそれへの規制の問題についての福冨さんのお話を紹介します。 |
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2005年6月22日(水)にPARC自由学校にて開催された第六回JCAFEサロンでは、福冨忠和さん(GLOCOM教授)から、今日の放送産業と通信産業を考えていく上で忘れられがちになっている二つの点についてお話いただきました。
参加された方たちからの反応