IGF現地レポート

2007/1/7 日曜日

短期集中連載 IGFアテネリポート−〈市民〉のインターネット− 第5回

Filed under: 未分類 — shibata @ 22:38:46

第5回 インターネットの多様性にむけて(2)

 

 レポートの方は一応終わりましたが、一つまだ終わっていなくて、かつどうしても書かせていただきたくてしょうがないことがあります。このレポートでも欠番になっている、第5回、インタビューの続きです。時期はずれになってしまい、大変恐縮ですが、お二人のお話があまりに興味深く、含蓄に富んでいるので、ぜひとも掲載させていただき、みなさんと共有したいと考えております。

 なお、わかりやすさに寄与するために、表現の一部に変更を加えているところ、および省略しているところがあります。著者が内容を理解した上で表記したため、誤解や不明瞭な所を含め、その責任はすべて著者にあることも、お断りしておきます。

 

それでは、料理のお魚が出てきたところからです。

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  • Diversityの議論がDiversityになってはいけない

 

上村: 日本経団連が今回のIGFで、大がかりなミッションを組んでやってきているみたいですけど、何を目的としているんですか?

前村: あんまりよくわからないんですけど、総務相から、ちょっとトラックしてくれよと言われているみたいですね。僕自身としては、国内ミッションで集まって話したり、今回のようなことをやるというのは、とても重要なことだと思うんです。日本国内でもできないことが、世界でできるわけはないし。

J: なるほど。経団連の関連の方々は何人ぐらいいらしてるんでしょうか?

前村: 経団連ミッション、純粋に経団連の会員組織というところは、4,5社ぐらいですかね。あとは経団連の事務局の方と。企業の方はもう少しいるかな? (日本の)マイクロソフトの方もいらっしゃってるし。

J: そう考えると、ずいぶん規模の大きい充実した会議になっていると言って良いんでしょうか?

上村: IGFは2009年まで続くことが決まっていて、ブラジル、インド、エジプトの順に開催されると開会式で言ってましたけど、この調子で続けてみて、あまり意味が無いんじゃないかと、実は危惧してるんですけどね。

J: でも、集まることに意味があるというのはありませんか?

上村: もちろん集まることには意味があるんでしょうけど、目的がはっきりしないと求心力も失っちゃいますからね。何かを決めるとか決まるとかであればいいんですが。

前村: 何か明確なビジョンができたら、それを持ち帰ることに意味があるんですけれどもね。たとえ何か決めるということにならなくても。そのようなビジョンの共有を狙わなくてはいけない。というのは、気がつくと思うんですよ。来年になったら。「この調子じゃいけない。何が足りないんだろう」と。セキュリティだったら、最初からマルチステークホルダーでは決まらないというのもあるので、誰かがきちんとたたき台を作っておいて、後は組み立てるとか。色々工夫のしようはあるんじゃないかなとは思うんですよ。

上村: ええ。ただ、温度差があって、参加者の中には「これでは何も決められないよ」という人がいますよね。そういう意見には積極的に反論しにくいですね。

前村: 私も反論しませんから(笑)。やっぱり、何らかのミッションを持ってきているのであれば、こういうフォーラムはやりにくいと思いますよ。ミッションをもっているということは、明確な成果が上がらないと、報告書とか書けませんからね。

J: でも、例えば「多様性」なら方向性が出せるんじゃないでしょうか。セキュリティは技術的な問題なので、難しいと思うのですが、多様性ならマルチステークホルダーになるのではないかな、と思って。

上村: 僕はそこは個人的にはマルチステークホルダーの時代ではもうないんじゃないかなと思ってるんです。

J: おお、おもしろいですね。

上村: 先ほどの言語の話だけではありませんが、アクセスのデジタル・ディバイドの解消って、商業的にやれないことが残っていて、それをどうしようか、という話じゃないですか。でも、商業的にやれないんだから、それは補助金みたいにやるしかない。もちろん商業的以外でやりたいという人がいたら、それをどのようにサポートしてのかというのはあり得るんだけど、それも商業的には上手くいかないんじゃないかと思うんです。このように考えたなら、プレーヤーは限られてくるんじゃないかと。同じようなことが言語にも言えて、すでに商業的にやって儲かるところはやられているわけです。

J: うーん。なるほど。

上村: ということは、残っているということは、商業的には上手くいかない部分ということになります。そうすると取るべき点は決まっていて、要するに誰が金と人を出すのかということになるでしょう。それなら問題は、それをどのようにやるのか、ということにしかならない。例えばオープンソースでやってお金をどこかから持ってくるとか、ビル・アンド・メリンダ財団(マイクロソフトのビル・ゲイツが作った財団)からお金を出してもらうとか(笑)。

前村: (笑)なるほど、それはよく分かりますね。

上村: 多様性、Diversityと言いますが、議論がDiversityになってはいけないと思うんですよ。

一同: (爆)

前村: 上手いですね(笑)。確かにそうですね。確かに具体的に言うと、やらなくちゃいけないことは決まってますよ。その方法論がいくつか選択肢があるぐらいのことで。そこは市場が成功しない領域ですしね。

上村: さらにいえば、市場が成功しないと言ってしまうのも、ポリティカルに問題なのではないかと思うんですけど(笑)。

前村: ふふふ、そうですね(笑)。でも、結構いろいろな人が、「市場は失敗した」とか言っていますよ。一日目とか。あれだけたくさんの人が言ってましたからね。「そうか、市場の失敗ってあんなに簡単に” Market fails “っていうのか」って驚くほど。

上村: じゃあ、いいのかなあ(笑)。

前村: いいんじゃないですか(笑)。ただ、そこを、マルチステークホルダーでする意味はありませんよね。

上村: 興味がある人たちが集まってやる、というだけでは、息の長いものにはなりませんし、埋まるものも埋まらないんじゃないかとは思いますね。

 

  • “Google”なヴィント・サーフ

 

J: 他の機関やパネラーの方々はいかがでしたか?

上村: パネラーどうしでもおもしろいことがあって、例えば隣に座っていたUNESCOの人とはなんか相性が良くなくて(笑)。明日一緒にパネラーになることを知っていたので、昨日の部会でいきなり捕まえて、IDN(著者註:国際化ドメイン名。多言語でのドメインのこと)ってヴィント・サーフは否定的なんですかね、って聞いてみたのがよくなかったのかなあ(笑)。

J: あ、IDNの話もなさったんですか?

上村: いえ、昨日のワークショップでヴィント・サーフが、IDNの問題について色々言っていて、「そもそもIDNで書かれたら他の言葉の人は読めない」とか、「検索してるんだから別にドメインネームじゃなくても良いんじゃない?」とか、いくつか言っていたので「ヴィントあんなこと言ってるけど、あれはクリティカルに言ってるのかな」って、UNESCOの方に言ってみたんですが、「いや、そんなことは無いとは思うわよ。本人に聞いていたら良いんじゃない」って返されて(笑)。それはそうなんですけどね(笑)。

前村: ふふふ、まあIDNは、好き好んでというか、好きでやっているネタですよね。ヴィント・サーフ的には(笑)。

J: そうなんですか。

前村:ええ、ドメインネームもそうだし、多言語化全体として。

上村: こういう問題だから、あまりお勧めしないということでは無いんですね。

前村: それよりは、やってみたらこういう問題がでてきた、ということでしょうね。MCIに雇われる前に、そういう仕事やってたんですって。これは『IPv6style』にヴィントが日本に来たときの記事が載っていて、そこに全部書いてあるんですけど、それによると、そういうことでGoogleみたいな仕事はいつかやってみたいと思っていたらしいですよ。」

上村: “Googleみたいな仕事”、っていうのは、ロビイストですか?(笑)

一同: (爆)

前村: (笑)、エヴァンジェリストやってりゃ金になるんですからいいんですけど。まあ、ネットワーク系じゃないっていう意味ですけどね。Googleのようなアプリケーション系ということです。それは僕にとっても「なんだ?」って思いましたし。ただ、言葉の端々に“Googleっぽさ”が出てきてるのがおもしろいですよね。例えば、「インターネットはこれまでに類を見ないアーカイブなんだ」って言ってましたよ。”distributed digital archive”だって。うわー、その捉え方は“Google”だなって思いました(笑)。

上村: 話はちょっと違うんですけど、アメリカの「ネットワーク中立性」の話で、ヴィントが、まあアメリカには消費者にブロードバンドの選択肢が無いという前提でなんですが、「ブロードバンドプロバイダにも、コモンキャリアとしての義務を課すべきだ」、と言ってましたよ。それは選択肢がないからという理由で。えー、と思いましたけどね。確かにGoogleに移られてからは、ずいぶん刺激的な話をしているように感じますね(笑)。

前村: まあ、「ネットワーク中立性」の遡上に上げられちゃってますからね。僕は「ネットワーク中立性」って、頭の中でピンとこないんですよ。

上村:日本とアメリカとでは事情が全然異なるというのもありますからね。結局アメリカでも、なにか話したいことを「ネットワーク中立性」という言葉で隠して議論している、というのもあって、要はケーブル対電話屋の話であったりとか、誰が次の10年のシェアを取るかとか、という話が、あの問題に隠されている。だから、通信と放送の融合のように、ネットワークプロバイダが流すようになるのか、ケーブルが流すようになるのか、そういった問題が裏に隠されているんですね。その意味で、「ネットワーク中立性」という言葉の裏の問題が共有されていないと、日本では同じ議論にならないと思うんですよ。

 

  • 「おまえこそ誰だよ」

 

J:そういえば、今回のIGFでは「ネットワーク中立性」の話は出ていましたっけ?

上村:出ることがあるとしたら僕は昨日の「Openness」のセッションだったと思うんですけど、なんか人権の話とかが中心でしたね(笑)。

前村:「Openness」でなんでそこまで、っていうのはありましたけどね(笑)。

J:全体的に「Openness」はどうでしたか?

前村:とっちらかってましたね(笑)。

J:大騒ぎになってましたよね。

上村:中国バッシングになってたりとか。確かに良くないところがある、というのはあるんですが。怒られてもしょうがないところがある、のかもしれません。

前村:中国の政府だけでなく、中国の人に聞いたときにも「いやいやフィルタなんてしてないよ」って、大まじめに言われましたもん。

J:ええ〜?

前村:本当に、そう思いこんでるんじゃないかと、こっちがおもっちゃうぐらい大まじめにですよ(笑)。

一同:(爆)

前村:もちろん、100人に聞いてみたわけではないんですけど(笑)。

J:みんなそう言いますか?

前村:言いますね。何ででしょうね(笑)。

上村:中国って、勝手にメールの中継サーバ置いて、勝手にエラー出すじゃないですか。「このドメインはありませんでした」とか。嘘つけ、あるのは知ってるんだよって。こっちからすると、だいたいあなたみたいなサーバを知りません、っていう感じなんですけどね(笑)。

J:おまえこそ誰だよ、状態ですね(笑)

上村:だから否定されても、ふーん、そうなんだ、という感想しか持ち得ませんよね。

J:中国では、日本語のWikipediaで読めない部分がある、という話があったりしますよね。

前村:Wikipediaだったかな、確かに中国にいると見えないサイトはあるらしいですね。

J:中国における表現の自由で言われるのは、政府などの規制する側の問題もさることながら、利用者であるユーザーに対する教育という問題についてですね。「IGFレポートblog」でも少し取り上げたんですが(第3回)、ユーザー側が教育を受けることで、表現の自由の重要さとか、自らの権利などの意識が出てくる。ただ現状は、高等教育されている人たちは、英語が話せて、その恩恵を受けている人ばっかりなので、母語のネット上の位置に関心を持たない、という傾向もあると思うんです。そこで質問なんですが、言語的多様性の文脈でも良いんですけど、「おまえら、英語を話せよ」っていうのは、無いんですか?

上村:ありえますよね。開会式で、ブルガリアの大使も公務員向けの英語教育に力を入れていると言ってましたね。

前村:そうですね。言ってました。

J:言語的多様性の問題は、単に「自国語をネットに載せるかどうか」だけではなく、「英語も使うかどうか」が、大事な気もしていて、ぐずぐずしていると、みんな英語を使うようになっちゃって、声の大きい人はみんな英語をしゃべると。一方で、ほんとに英語がしゃべれなくて困っている人とか、後は言語障害を持っている人とか、言葉さえ何とかなれば、ネット上でも色々表現できる人ですね。そういう人が苦しむ状況になっちゃう気もするんですけど。例えば、UNESCOなんかはどうなんですか?

上村:先ほどご一緒したUNESCOのパネラーの方もおっしゃってましたが、初等教育は基本的には、母語で、自分が生まれながらに習得した言語で行うことを推奨していて、そういったプログラムとかプロジェクトを実施したり、お金を出したりしていると思います。ただ、高等教育になるとその可能性はどんどん狭まってきて、英語やフランス語などの旧植民地の言葉になっちゃいますね。そうすると、初等教育を母語でするということは、その分ぐらいは多言語化が必要なんじゃないか、と僕なんかは思いますけど。初等教育でもITは使うわけですよね。そこからいきなりフランス語では、やはり母語の価値を貶めてしまうんではないか。その辺が“折り合い”になってくるんじゃないかとは思いますね。

J:家で使う言葉と学校で習う言葉が違ってきちゃう、ということにはならないで済みますかね。例えば卑近な例なら「名古屋弁で書かれた教科書も欲しい」とか(笑)。

上村:そこは難しい問題ですね。日本語と英語ぐらい離れていて、「二つの言語」とはっきり言えるならいいんですが、方言となるとね。

前村:方言の問題は難しいですね。例えば、地域の価値は大切にしなければならないということで、方言は残すべきだ、という考え方はあるんですね。一見まっとうに思えるんですけど、地方出身者としては、それを東京生まれのおまえに言われたくないよ、と思いますね(笑)。

上村:東京の人は、もう少し東京以外にも人がちゃんと住んでいることを自覚するべきですね(笑)。大阪では小学校でも大阪弁で学んでるんだぞ、ということをね。

前村:地方のことはすぐエキゾチズムなイメージに結びつけちゃってね。頭では知ってても、意外とわかってない人が多いですね。

上村:そういうのがわかってないと、すぐ日本を均一なイメージで考えちゃうんですよね。

 

  • 心はこもってる?

 

J:IGFのような国際会議への参加はあまりしたことがないのですが、個人的には、名古屋弁とまでは言わなくても日本語が国連の公用語になってくれないかな〜と思いました。そしたら自分も質問とかできるのにな、って。まあ、何を聞けばいいのかよくわからないのですが(笑)。でも、IGFには日本の人、結構来てますね。

前村:まあ、力はいっちゃいますよね(笑)。経団連の人たちも、ミッションを組んで来ていますし。

J:発表する人はどのくらいいるでしょうか。

上村:4つあるメインセッションのうち、3つに日本人のパネラーやモデレータがいますからね。少なくはないでしょうね。

前村:オープニングセッションでも、内海さんがいましたからね(笑)。

J:ITUの事務総局長(当時)だった内海善雄さんですね。私には発表の内容がぜんぜんわかりにくくて、困ったのですが、発表の後、司会の人になんか言われてしまってましたね。「哲学的に造詣が深いですねえ〜」みたいに(笑)。

上村:ソクラテスがどうたらこうたらとか(笑)。

前村:「ソクラテスは死んだ。」って言ったとき、会場がざわめいてましたね(笑)。

一同:(笑)

J:私はoverpass(本会議場への入場証)がなかったので、別の部屋で画面で見てたからかもしれませんが、あのスピーチ、意味がわからないんですよね。

前村:二重否定とかが多かったみたいですね。反語的に置いている“枕”が強くて、後ろが弱いもんだから、批判してるんじゃないかって聞こえて、びっくりしてる人もいそうですね(笑)。

J:(笑)。ちょっとお聞きしたいのですが、ITUっていうのは、インターネットの管理に興味はもってるんですよね。

前村:いや、すごい持ってますよ。今日の朝ご飯の時に、ICANN(IPアドレスやドメイン名などのネットリソースの調整・管理を代表する組織)とRIR連合(世界を5つに分けてネットリソースの配分と管理をおこなっている各地域の組織)の関係者がミーティングしてたんですよ。みんなで。そんなところで、そっちの方のテーブルに座ったのがZaoさんで。

J:ITU-TやTSB(ITUのうち電気通信の標準化をしているところ。ネット管理も狙っている)のZaoさんですか?

上村:で、後ろで聞いてたと(笑)。

一同:(爆)

前村:「いる、いる」って、ざわざわとなっちゃいましたね(笑)。

一同:(爆)

前村:で、IPv6(IPアドレスの主要規格であるIPv4の次世代版とされている規格)については、ITUをヘッドとして、国家ごとに管理をするんだと。そして今のRIRが提供しているシステムと競合的にやるんだ、って思ってるみたいですよ。

J:え、そうなんですか? ネットを管理するシステムが2つできて、競争しあう、って考えてるわけですか?

前村:そういえば、別の中国の人にも言われましたよ。「競争してお互い良くなっていこう」、って。よくこの人たちこんなこと言えるな。って思うんですけど。っていうか、共産主義の国の人にあまり言われたくない気がするんですが。

一同:(爆)

上村:心がこもってない、って感じですね(笑)。

J:下心はこもってそうですね(笑)。でも、本当にそんなことできるんですかね? IPv6を自分たちの手におさめて、競合するって。

前村:いや、彼らが騒いでも、現に私たちが運用しているものですから、競合というのは変で、それを「手放せ」ということが前提になるんでしょうね。

上村:ないしは、本当にできると思ってるのかもしれませんね。やる気があればできる、と。中国の例で言えば三峡ダムでも、建設のためには200万人移住、ぐらいのことはやりますからね。

J:平然とやりましたからね。

上村:まだ考え抜いているわけではないでしょうけれども。ネット管理の競争、っていうのは、影響が大きすぎるし、本当に実現可能なのかどうか。

J:ただ、企業としては、中国のマーケットとしての大きさに目を奪われて、何も言えなくなっているところはないですかね。企業の連合体という性格が強いITUも、そんな感じになっているのかなと危惧してるんですが。

前村:どうでしょうか? 例えばキャピタリストの人から聞いた話だと、中国に事業として入っていく、っていうのは、なかなかYesと言えないものがあるみたいですよ。リスクがあるし、失うものもあるから、結果的に全体としてもうかるかどうか、というところで見るわけですからね。Googleは行けたかもしれないけど、なかなか手を出せないなあ、って。

上村:Googleなんかは、多少儲からなくても、全世界にある、という方が大きいでしょうから。

J:Googleも失ったものは多そうですけどね。

 

  • 「上手いやり方」を一緒に

 

J:そろそろ時間になってきましたので、最後に、今回IGFに参加なさってみて、どう思われたか、その結果、今後どんなふうにしたいか、そういった将来に関して思われたことなど、ありますか。

前村:僕としては、今回IGFに来てみて、ここが多分に“国連”であり、発展途上国支援であり、という文脈が強かったと感じましたね。なので、なんかの仕事として追跡することはあるかもしれないですかど、IGFという場からインターネットの資源管理とか、インフラをどうにかする、という文脈で、僕たちがならなくちゃ行けない仕事はあまり無いんじゃないか、とは思いました。ただ、こうやって政府も出てくるっていうことは、一般の方がインターネットがこうなって欲しいという意見を代弁しているということにもなっている訳だから、そういったことを念頭に自分の仕事を進める、ということになると思います。いろいろな形で、メッセージが出てきていると感じることができたので。

J:国連の場というのがそうだと思うんですが、前村さんの立場ですと発展途上国の側から、やはりクレームを申し立てられる側になってしまうと思うんです。一方で私たちの側から言えば、自由や利便性、セキュリティなど、前村さんたちに守ってもらいたいものもあると思うんです。そのへんも“折り合い”なのかもしれませんが、どう思われますか。

前村:この辺は経団連の方々に似ているのかもしれませんが、やはり日本が、自分のところがしっかりしなければならないと思っています。一方で、発展途上国の利用者のリテラシーが低いことでセキュリティが上手く保たれないという面があるかもしれませんから、ここはなんとかしていかなければならない。その辺が一番興味を引かれるところでしたね。例えばAPNICでも一生懸命、発展途上国でトレーニングやったりワークショップやったりしていて、お金も民間としてできることはできるだけやっていると思います。

J:APNICはアジア太平洋地域全体を管轄していますから、日本、オーストラリア、韓国のような先進国から、発展途上国のような地域まで幅広いですからね。

前村:今、インドあたりがどーんと立ち上がってきていますが、他にもまだまだ教えていかないといけないところがあるんでしょうけど、その辺もうまくできていて、SANOG(South Asian Network Operators Group。南アジア地域のネットワークオペレータの情報交換グループ)のようなところが、ちゃんとインターネットを繋ぐための教育プログラムを用意していて、うまくやっているんですよね。インド亜大陸のあたりは英語のリテラシーがあるので、直接的に英語の情報が取れるんですよね。じゃあ日本ならどうかというと、僕もやっているJANOG(日本ネットワーク・オペレーターズ・グループ。日本におけるネットワークオペレータの情報交換グループ)からすると、ちょっとうらやましいぐらいですけどね。後、インドや南アジアだと、一部のエリートは移住して例えばシスコの偉いエンジニアだったりするわけですよ。そういった人たちが故郷に錦を飾るっていうか、次は祖国のためにとおもってやってるというのもありますね。

J:SANOGは資金源はあるんですか?

前村:資金源はスポンサーシップでどうにかやってると思います。SANOGでは前回の8月のミーティングがパキスタンであって、しゃべらせてもらったんですけど、そういったところでは協力は惜しまないでやろうと思っています。

J:なるほど。そうするとインドにしても、中国もそうかもしれませんが、これからユーザーが飛躍的に増大するわけですよね。そうすると発言力もどんどん増していって、大きな変化を求められるじゃないか。そのあたりが現在の日本のユーザーとしては心配になるんですが。

前村:インターネットインフラの運営という点で言えば、今までそれなりに上手くやれてきていたものなので、その「上手いやり方」というのを彼らにも理解してもらって、同じようにやっていってもらう、というのが一つのテーマなんですよ。「知らなかったからこっちの方でやりました」というのでは困るので。

J:それはそうですよね。同じようにできているからインターネットになっているのであって、新しいからと勝手な方法をとられては混乱してしまう。

前村:例えば「ちょっと酒飲みに行こうぜ」って誘ったりして。結構一生懸命ですよ(笑)。

J:なるほど。それは大事ですね。それらの積み重ねが、将来にわたるインターネットの安定を生むと言えるかもしれませんね。。。長い時間取っていただいて、本当にどうもありがとうございました。

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2006/12/31 日曜日

短期集中連載 IGFアテネリポート−〈市民〉のインターネット− 第6回(最終回)

Filed under: 未分類 — shibata @ 22:43:08

第6回(最終回) 〈市民〉の条件
 おはようございます。今は、東京発21:44のかいじ121号の車内です。なぜこんなところにいるかというと、その後、いろいろあったからです。申し訳ありません。いろいろあったことはこのタイミングからしてご想像くださっていることと思います。いいわけをしても取り返しがつきませんので、続きを書くことでお詫び申し上げたいと思っております。大変失礼いたしました。
 あれから時間も空きまして、結局思い返す形で原稿を書くことになってしまいました。日常での困難な雑務、まさにパンを得るための日々から振り返りますと、アテネでの数日は、夢のよう、以外の、言葉が見つかりません。このblogは私のせいで当初の目的を達せず、結局、夢を思い返すということになってしまいました。そのことも含めて、簡単にまとめさせていただいて、ひっそりと終わろうと思います。
 すでに、IGFについてはいろいろな言及がなされています。このblogも若干変わったかたちで、とても貢献とまではいかないでしょうが、取り組んできました。実際にアテネで参加している中で、私が一番疑問に思ったことは、「なぜ、私たちは〈市民〉として生きているのだろう。」ないしは、「市民として生きていることができるのだろう。」というものです。

  • 「なぜ、私たちは〈市民〉なのだろう。」

 すでに自分を〈市民〉と確信できている方にとっては、奇妙な疑問なのかもしれません。「人は生まれながらに市民だ」ということでいいのかもしれません。しかし特にネット社会に限って言えば、IGFは「未だネット上では市民たりえていない人」の存在を明らかにしていました。まだネットに繋がっていない人(南北格差)や、ネット上で母語を使えない人(言語的多様性)、そしてそもそもネット上に代表者を持たない人々の問題です(第2回 It’ a Opening Night !)。表現の自由という観点からすれば、中国の人々(第3回 「表現の自由」とその行く末)も、同じ事がいえるのかもしれません。
 実はこれらのイシューは、ネットだけではなくあらゆる分野に見られるものでもあります。資源分配という意味での南北問題の深刻化と、中国を中心としたアジアにおけるその格差問題の変質。。。IGFに参加してみて、私はそれらの問題が、実はすべて「私たちは、なぜ、どのように〈市民〉なのか」という問いに帰結しているように思えて仕方ないのです。
 アテネに行くまで私は、自らのことを当然のように〈市民〉だと思っていました。でも、特にアジアにおいて、〈市民〉であることの利益を享受できる人々は、さほど多くありません。誤解を恐れずに言えば、情報格差や表現の抑圧が比較的緩やかな、日本、韓国、香港、ないしは各国のエリート層などに限定されてしまうのではないでしょうか。その共通因子は明らかです。「富」です。概念・理念的な定義はともかく、実質的には現状では〈市民〉たりえているかどうかは、「豊かさ」と相関関係にあるのです。アゴラと共にあったギリシャ市民社会が、無慈悲な奴隷制度による富の集中によって成立していたのと、同じです(第1回 アテネ−民主主義の原点の地から−)。なんだかんだいって、私たちは「豊か」だから、〈市民〉になれているのだ、と言うのは言葉が過ぎるでしょうか。

ICFのclosing session

  • 日本に生きる意味

私が自分を〈市民〉と感じ、〈市民〉として振る舞い、その利益を享受することができているのは、豊かな日本に生まれ、育つことでしか保障されていないのではないか。IGFの話に戻れば、アジアのネット社会における日本のプレゼンスは、やはり際だっています。特にネットの資源管理、IPv4や、多様性確保のための活動などでも(第4回 インターネットの多様性にむけて)。それらは確かに現在の技術者コミュニティを中心とする人々の活躍あっての話ですが、その前に、日本がこれまでインターネットの世界に多大な貢献をしてきたという、歴史的な所産であったことは否めません。つまり、ある意味で過去の蓄積が、私たちの現在のネット社会での位置を保障してくれていたわけです。先進国としての「豊かさ」、ネット上での「存在感」。。。これまでの蓄えこそが、私たち日本人の最大の財産であり、自らを〈市民〉たらしめていた条件だといえるのではないでしょうか。それゆえ、変化する国際環境の中で、将来への不安や葛藤が頭をよぎってしまうのでしょう。この閉塞感は、単に自分の暮らす国が“二等国家”(なぜか良い響きに聞こえますが)と化すだけでなく、〈市民〉としても生きられなくなるような、そんな不安にも繋がっているのではないか。
 私たちは、〈市民〉がどうするか、〈市民〉としてどうするか、という話をしがちです。それは私たちの将来をどのように決めるのか、という意味で、きわめて重要です。しかしネットの未来をもっとも先鋭的に議論しているIGFに、押し込められた安宿を出て、ローカルバスを乗り継ぎつつ参加しながら、私が一番感じたのは、むしろ私たちは未来ばかりを見過ぎているのではないか、という疑問でした。もっと自分たちの足下、今までのこと、そしてその根拠について議論してもいいのではないか。実はネットの世界で今、私たちに、特に技術者でも政治家でもないネットユーザーとしての私たちに一番求められているのは、自らの足場である〈市民〉の、根拠なのではないか。

日本に帰る機内にて。アジアを見る。

  • 希な時に希な地から−ありがとうございました−

 おそらく私たちは、きわめて希な地に、希な時代に生まれました。それゆえ、インターネットという最強のメディアと、〈市民〉というアイデンティティとを、同時に持ち得ました。世界の大半においては未だに、そのどちらかは、ないしは両方とも、幸運がないと手に入りません。一方で、ネットも〈市民〉概念も両方とも、私たちの周りでは劇的な変貌を遂げようとしています。インフラやリソース管理だけではなく、表現の自由など〈市民〉としての基本条件も変化を余儀なくされている。そしてアジアはその変化の最前線でした。その戦線は、中国を正面に向かえ、アメリカを背後にもつ私たちの上に黒々と惹かれています。私たちはインターネットと〈市民〉とが大きく姿を変えようとしている交点に生きているのです。これを奇遇と呼ばずして、なんというのでしょう。
 もちろん、それが幸運であるとはいえません。それでも、このような得難い時に、場所で〈市民〉としてインターネットを利用するという意味を、もっと噛みしめてみる必要があるのではないかと、強く思います。
 勢いよくこのblogをはじめておきながら、とんでもないまとめになってしまいました。申し訳ありません。ただ、最先端のIGFから〈市民〉の条件を射程に入れるというのは、ここでしかできなかったことで、それなりに意義のあることなのではないかと思っています。JCAFEの浜田代表、銭谷さんにあらためてお礼申し上げます。
 IGFは私にとって希な機会で、まさに夢のような空間でした。しかし私が今いる日本は、希ではありますが夢ではありません。なので夢からきちんと覚めて、泥臭く生きる日常作業に戻ろうと思います。この原稿は、年の瀬も迫る中、車いすの方5人と、インターネットとデジカメの勉強をやってきた帰りの電車で書いています。泥臭く一〈市民〉としてインターネットを利用する現場から、ネットの未来と〈市民〉の条件を、ゆっくり考えていきたいと思っています。

2006/11/9 木曜日

実はトラブってます

Filed under: 未分類 — shibata @ 4:48:44

あらためてこんにちは。本blogライターの柴田です。

実はもう日本です。ご想像のとおりトラブってます。。。別件で、主に時間的やりくりですが。なぜか帰国途中で仙台に寄っておりました(T_T)。でも、もう大丈夫そうです。

いちいちバックデートも大変なので、明日ぐらいから心の中で時間を戻して連載再開いたします。

インタビューにご協力くださった方々もいてくださるので、責任をもって最後まで完遂するつもりです(当たり前ですが)。くだらない駄文ですが、意外と役立つことを報告できるような気もします。おつきあいいただけると幸いです。気が向いたときでいいですから。ではまた再び。

2006/11/2 木曜日

短期集中連載 IGFアテネリポート−〈市民〉のインターネット− 第4回

Filed under: 未分類 — shibata @ 20:33:55

第4回 インターネットの多様性にむけて(1)

 前回予告したように、今回は特別企画のインタビューでお届けいたします。とっておきのゲストをお招きいたしました。一応聞くべきポイントをしっかり考えていって、きちんとしたインタビューにしようと決意していたのですが、はじめての快晴の下、お昼ご飯をごちそうしながら(正確にいうと、JCAFEがごちそうしたのですが)の、楽しい歓談になってしまいました。
 今回のゲストは豪華にお二人です。お一人は、GLOCOMの主任研究員で助教授の上村 圭介さん。当日のDiversity Sessionではパネリストとしてご報告なさっていましたので、無理矢理捕まえて連れてきました。もうお一人は、JPNICでIP分野を担当なさっている、前村昌紀さんです。ネットのガバナンスに欠かせない資源管理面について、教えてもらえそうです。
ということで、今回のテーマはまずはDiversityが中心です。ただ、長くなってしまっているので2回にわけてお伝えいたします。大仰なオープニングセッションをほとんどレポートせず、裏でこういったわけのわからない話をしているこのblogが、我ながらちょっと好きになってきました。あと、お気づきかもしれませんが、なんか日付がむちゃくちゃです。当初は時差を読み切って書くつもりだったのですが、こっちもわけがわからなくなっちゃったので。今日は1日の夜のつもりです。すみません。ではどうぞ。

  • IGFのDiversity Session

  JCAFE: 今日はお疲れ様でした。Diversityの部会はとても盛況でしたね。
  上村: どうなんですかねえ。パネルの方はたくさんいましたが、フロアの方は空席が(笑)。
  J: でも、オープニングセッションを除けば、一番人がいたような気がしますよ。おかげで裏番のAccessibilityが少なくて。どうして人気があるのでしょう?
  上村: やっぱり、IGFのなかで一番無難なテーマだからなんじゃないでしょうか。言語的な多様性を確保するべきだ、multilingualが大事だというのは、誰も反対する人がいないから、人が集まりやすいんだと思いますよ。
  J: 実は前半しか出られなかったんですけど(汗)、どういう手応えでしたか?
  上村: 最後は今井さん(ModeratorのNHKのアナウンサー)が、それぞれ具体的な解決法を述べよということだったんだけど、そういう話になったのなあ。UNESCOの人は、いろいろやっているので、そういう紹介とか。。。私はポリシーが大事だって話をしたんですよ。技術だけでは決められないこともあるじゃないですか。そもそもIDN(Internationalized Domain Name)がいるかいらないかということ含めて。
  前村: それが難しいから時間がかかってるんですよね。それこそ、今カバーできている一割ぐらいの言語は、十分にそれを使っているコミュニティがあって、たまたまそれをできる能力がある人がいたからカバーできているわけですし。それって小さい人口だと無理なわけで、例えば日本人って一億三千万の人口があってはじめて、あれくらいのクオリティのことができている、という勢いな訳じゃないですか。人口が少ないと難しい、となるかと。
  上村: それをどうするのか、というのは、商業的に成り立つわけではないので、なにか別の道を考えなくてはならないと思うんです。UNESCOとかはあからさまにポリシーとは言いませんけど、国際機関だからかもしれませんが、地方政府といろいろやっているとか。合意はできなかったんですけど、何か言語政策のためのワーキンググループとか、何かつくって、その進展をモニターしなければだめなのではないかと。でも、そこはUNESCOの方は否定的でしたね。さんざんやってるからいいじゃない、と。セッション前にいろいろよけいなことを言って気分を害してたのが悪かったのかな(笑)。
  前村: まあ、結構、今までいろいろな営みをやってるんだけど、知らないということもあり得ますよね。
  J: ただ、言語政策というと、まあ大概はネットなんですけど、それ以外のメディアも全部、ってことになっちゃいませんか?
  上村: いや、そうなんですよ。だから、ネットは現実の社会のアンバランスを鏡としてうつし込んでしまうのか、ネットをつうじて現実社会を変える働きかけをすべきか、そこが今たぶん問われているんです。そういうことを実は誰もはっきりと言っていなくて、僕らがどうしたらいいのかということも明確でない。なんとなく少数言語が死に絶えそうだから助けましょうと、そういう段階ですよね。だけと、地球上には無数の言語があるので、一つ一つに対してそんなことやっていられないのは明らかだから、どっかで線引きをする必要が出てくる必要があると思うんですよ。そのときに、いくら技術があるといってもどうしようもなくて、それはどのように線引きできるかがキーになってくるのではないかと。
  J: この問題は、まさにネットができて、はじめてわかってきた問題なのではと思うんですけど。
  上村: ただ、テレビやラジオも同じような問題を抱えていたので、古い問題ではあるんです。でも、ネットとテレビとは違う。僕もセッションで言おうとしましたけど、ネットは参加のツールでもあるわけです。なんとか語でテレビが見れないというのと、blogができないとかSNSができないとかというのは、同じじゃないと思うんです。ネットで存在することができないことの方が、影響が大きい。だから、出された結論としては、今のテレビや新聞の状況よりは、ネットの多言語化を高めようということじゃないかと。なんとなく議論の流れをみているとそういう感じですね。
  前村: うん、そうですね。がんばってボトムラインと思って、なんか採択するぐらいのこと、やってもいいかもしれませんね。

  • 折り合いをつけること

  上村: 結局、なんのためにmultilingualismが必要なのかということですよね。あたりまえのことになってしまっていますけど。なんかもっと冷めた目が必要なんじゃないかと思いますね。というのも、その言葉で日刊新聞が出されているとまではいかなくても、普通にビジネスや社会生活がおこなわれているなら、インターネットに載せるべきかもしれませんけど、そうじゃなくて本当に家庭でしか使われていない言葉だとしたら、しかもそれが音声言語で文字をもたないとしたら、わざわざ無理に文字を与えてネットに残すっていうのも問題があるのではないか。もちろんお金が余っててですよ、やりたくてしょうがないんだったらいいんだけど、そういうわけではけっしてないでしょう?
  前村: つまり、社会のツールとしてある程度使われているわけではないものまで、無理にイノベートする必要はない、ということですかね。
  上村: そう言いたくなる衝動は、常にありますね。
  J: それが先ほどおっしゃった、折り合いというものですね。
  上村: そうですね。
  前村: それを外からむりやり決めるといびつになるんで、自主的に決めさせたいものなんだけど、それも難しいでしょうねえ。
  上村: 最終的には自主的に決めないといけないので、あれをするかわりにこれをしないという、バランスのもとならいいと思うんだけど、この言語も入れろ、あの言語も入れろでは。
  J: ただ、現状としては、そのような折り合いをつける方向に向かっていると見えますよね。
そのお話を聞いて、すごく重なって見えたのは、ユニバーサル・デザインやアクセシビリティの問題です。すべての人に対応することが可能なのか、これもある程度折り合いが求められている現状があると思うんです。
  前村: マイノリティとマイノリティの衝突する利害をどう調整するかということもありますね。
  J:IGFも同じことを試されてきているのかな、とは思ったのですけど。お、料理が来ましたね。
4人で大きなお魚を頼んで、切り分けてもらっているところ。おいしかったです。

  上村:出張をしても、各国の昼食の写真を撮ってこないので、glocomのランチ探検隊から顰蹙を買っているんですけど(笑)。海外に出ると毎日の昼食の写真を撮っている人たちが職場にいるんです。
  一同:へー

(次回に続く・・・すごいところで終わってますが)
 

短期集中連載 IGFアテネリポート−〈市民〉のインターネット− 第3回

Filed under: 未分類 — shibata @ 2:05:02

 

第3回 「表現の自由」とその行く末
 おはようございます。今日もアテネは雨です。正直に認めますと、今日は浜田代表に内緒でエーゲ海に突き出す観光名所、スニオン岬のポセイドン神殿に行こうと思っておりました。せっかくここまで来たので、少しはエーゲ海観光としゃれ込みたかったのです。でもこの雨では、どうしようもありません。ばれないうちに仕事に戻るとしましょう。
 さて、この連載では昨年のチュニジアに増して、IGFの本流?っぽいネットワーク管理とかの話をあまりしておらず、どちらかというと脇道っぽいテーマを選んでいます。それは私の本業とも関わるのですが、私はどちらかというとネットの利用者側の問題を専門としてきたので、なんとなく利用者が見えやすいコミュニケーションの方に親近感を感じるのです。おかげで、ガンガンにセキュリティやプライバシーの部会に出まくっている(APCではプライバシー部会担当になっていました)浜田代表とは、偶然にも役割分担ができている感じです。一方で現地では、情報のインプットが浜田代表、アウトプットは私ということになっているので、このblogも若干テーマが偏りがちですが、帰国後にJCAFEとしてのフォローもあるでしょうし、ご了承いただければと思います。

  • Openness 

 ただ、長々駄文を書くという悠長なことをしてられなくなりつつあります。今回は臨時に浜田さんが言っていたOpennessの部会についてお送りしたいのですが、走り書きになるのをお許しください。
 ネットの英和辞典『英辞郎』で引いても、”openness of the Internet”=インターネットの開放という言葉が出てきます。ともすると利用者が限られてしまうネットを、もっとより多くの人が実体的に利用できるように開いていき、情報、アイデア、知識の自由な流れを実現するというのがその主旨です。そのため、その中に”freedom of expression”=「表現の自由」も含まれることになります。ただ、ネット上での表現の自由は、ある意味で危機に瀕しているといってもいいかもしれません。規制や検閲の有無だけではなく、それがなされてもその事実をユーザーが知ることができないからです。そのような事態が、中国で進行しています。そのためか、”Openness”の部会は、途中から中国バッシング?のようになってしまいました。
IGFのオープンネスセッションの様子。

 詳細はIGFのサイトのtranscriptを読んでいただければと思います。また、翻訳ですが、すでに一部報道もされているようです(Cnet Japanなどhttp://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20298207,00.htm)。なので、会場の雰囲気だけですが、全般的に表現の自由を強く主張するフロア側と、ある程度の制御を認めるパネル側という様相でした(パネルの中にAPCのAnrietteさんがいて、主張なさっていましたが)。そこで途中で中国政府の人が、” I have to say that I am a Chinese citizen and I feel that I need to be protected.”と行ったあたりから会場は混乱の様相を呈し、具体的な検圧はしていないという中国政府、そのような検閲に協力していないというCiscoやMicrosoftの代表、そして実際にしているというフロアとの応酬を、モデレータが苦労して回避しようとしているありさまでした。

  • わからなかったら聞いてみる

 これらの事情は、私たちにとてもわかりにくいものです。そこで、今回は緊急企画として、中国と表現の自由について解説できそうな人を探していると、偶然にジョンさんにお会いしました。ジョンさんは香港の研究者でCSとして参加しているので、これ以上の人はありません。そこで緊急インタビュー(というか、お酒を片手に勝手に聞いただけ)をしてきました。

ちょっと聞きたいんだけど、今日の中国バッシング?みたいなの、どう思った?

仕方がないことかなあ、とはおもうよ。規制はよくないことだからね。

例えばコントロールされていることで、実際に不便なこととかはないの?

 これは聞いた話なんだけど、中国からは日本語のWikipediaが読めないんだよね。中国にも日本語を学んでいる学生はたくさんいるから、とても不便なことだと思うよ。

さすがにWikipediaにアクセスできないというのは驚きでした。なので、酔っぱらったのをいいことに思い切って踏み込むことにしました。

じゃあ、なぜ中国の人々は、そういった政府の規制をやめさせようとしないの?

これは理解して欲しいんだけど、中国は国内に多くの貧しい人を抱えている発展途上国なんだ。だからこれから発展していって、インターネットを普及させていく中で、中国は変わろうとしているんだと思う。それによって、市民社会の感覚を共有できるようになると思う。そのために一番必要なのは、「教育」だ。中国の人々にはまだ教育が足りない。教育して多くを学んでいけば、表現の自由を実現することができるだろう。

 最後に、「じゃあ、表現の自由がある香港は中国にとって鍵だね」と言ったら、そんなことはないという表情をしていたのが印象的でした。その理由はわかりませんでした。
 酔っぱらっているので踏み込んでもこの程度ですが(笑)、「表現の自由」は思っているほどシンプルな問題ではなさそうです。IGFにしろ先のWSISにしろ、中国は先進国や大企業の既得権限や利益の独占を告発する、もっとも強力なプレイヤーだったと思います。そのうちに「管理された発展」という目的を持っているのであれば、本当にユーザーの教育だけで表現の自由が守られるのか、とても不安に思います。
 また、今回のフォーラムで気になったのが、全般的に大企業が中国にとても気を遣って発言しているように見えることです。その背後の広大なマーケットが目的だとしても、企業にとって自由の喪失は、本質的にビジネスチャンスの減少にしかならないはずです。さらに、そのような自由が安易に制限される状況を一度生み出してしまえば、将来的には、消費者の購買意欲のとめどない減退をもたらすことになるでしょう。次に来るのは強制的に購買させることでしょうか(冗談ですが)。みんなわかったうえでやろうとしているのであれば、これ以上恐ろしいことはありません。
 もしかするとこの問題は、中国に限ったことではないかもしれません。ここIGFでも、CSにとって途上国の発展支援や教育促進は、至上課題になりつつあります。一方で〈市民〉は、「自由」のないところでは生きていくことができません。インターネットにとって、ないしは市民社会にとって、「開発」「教育」「自由」をめぐる議論は、簡単に結論を決めてしまわずに、慎重にその裏側を読んでいく必要があります。
 さて、今回は酔っぱらっていい加減になってしまいましたが(汗)、このようなインタビューが私たちの新企画です。現地に行ったのをいいことに、とってもおもしろそうな人に突撃でお話をお伺いするという、JCAFEならではの企画です。次々とネタができているので(私の更新が間にあってませんが)どうぞお楽しみに。

 

2006/10/31 火曜日

2日目:中国政府の問題 & IGF 関連ウェブ

Filed under: 未分類 — taratta @ 23:36:02

こんにちは、浜田です。

今日は本会議2日目です。午前中のメイン会場のセッションで、中国政府とIT企業の関係についてかなり議論になりました。ぼくはプライバシー・ワークショップに出なければならなかったので途中で出てしまいましたが、後で友人から聞いたところでは、けっこう大変な議論だったようです。

メイン会場のセッションは常時英語でのトランスクリプトが大画面に表示されており、フランス語、スペイン語、中国語などの同時通訳を聞かなくても発言の内容がわかるようになっているので助かります。また、その記録はウェブキャストと共に順次ウェブサイトに掲載されていきますので、ぜひご覧になってください。メイン会場での議論はちょっと表面的で、つっこんだ議論になりそうになると司会者が次の話題にもっていく、という印象を受けますが、いろいろ面白い問題提起もあります。

下記のIGFの公式サイトのトップ・ページからリンクされています。

The Internet Governance Forum (IGF)

また、IGF公式ブログやAPCのブログも必見です。

igf2006.info blog

APC blogs

その他、各課題別にいろいろ情報源がありますが、それらは 市民の情報学 の中に少しずつまとめていきますので、時々チェックしてくださるとありがたいです。

短期集中連載 IGFアテネリポート−〈市民〉のインターネット− 第2回

Filed under: 未分類 — shibata @ 23:01:19

2回 It’s  Opening Night !

 いよいよ本会議がはじまりました。昨日までの与太話はやめて、どんどんIGFについてお届けしたいと思います。とはいえ、そこはJCAFEあくまで〈市民社会〉CSにこだわった内容でお届けしていきます。今回はWSIS in チュニスでの経験を生かし、特別企画を準備中です。今後の更新をお楽しみに。

レセプションのパーティ風景。クラシックの演奏シーン。 さて、準備が順調なのに油断して、初日はオープニングレセプションに参加をしてきました。会場になっているVouliagmeni(ヴァーリャグメニとガイドブックにありますが、ギリシャ語ではバリアグメニと言わないと通じません)は、アテネ南方の湾を囲んだ広大なリゾート地です。とはいえ、初日から激しい雨と風。滝のように流れ落ちる雨水の音ばかりで、エーゲ海の雰囲気は痕跡もありません。会場のホテルや私たちが泊まっているホテル、そしてレセプションのホテルと離れているので、IGFが手配してくれた不定期のバスに巡りあわない限りは、タクシーか自家用車で移動することになります。お金のない私たちはもちろん歩きです。ということで、とぼとぼ暗闇に迷いながらレセプション会場まで歩いていくと、私たちが泊まっているのとはずいぶん違う、ハイソでエレガントなネオンサインとビーチとが見えてきました。驚きつつ傘を預け中にはいるとそこは、ハイヤーで乗り付けなければ駄目なセレブな世界です。美しいクラシックの音楽と、きれいに彩られたオードブル(お鮨もありました!)を前に、びしょぬれの私たちは君たち何?という違和感でした。報復のためか空腹のためかガツ食いしてしまい、日本人としてちょっと恥ずかしかったかもと反省しています。

  • オープニングセレモニーもありました

 もちろんレセプションの前には、オープニングセレモニーが本会場でありました。ただ、それをレポートできないのは、本会場に入るためのoverpassがなかったからです。ギリシャ首相をはじめ、各国大臣(日本は総務副大臣だったようですが、存在感が・・・)が列席するセレモニーには、すべての人が入れるわけではなく、特にCSは参加者が限定されて、肩身の狭い思いをしなければならないようです。でも、JCAFEは浜田代表がoverpassを持っていますので会場入りしています。帰国次第報告ができると思います。

IGFのオープニングを、オーバーフロールームで見る。 私は押し出された人が収容されるover flow roomで原稿を書きながら見ていました。あたりまえですが、新参者でも寂しいものです。このような「参加制限」は、別に私がどうこうということだけではなく、この種のフォーラムについて回ります。それでもIGFは開かれている方だと思いますが、インターネットのガバナンスを議論する場で、現実のインターネットに増して、パーミッションが細かく設定されているのは、なんだか笑えてくる気がします。

  • 「参加」することと「代表」と「名」

 WSISにしても、IGFにしても、従来のサミットや国際会議に増して〈市民〉と市民社会(CS)が存在感を発揮した場であったと言われています。ただ、会議に出席していると、きれい事ではない内情などもちらほら耳に入ってきたりします。たとえば、誰が代表するのかという話題です。時間と空間に限りがある以上、代表した人が参加することになります(その意味ではJCAFEも代表者として参加しているわけです)。ここで問題なのはチュニスのblogでも述べたのですが、市民社会を代表するのは誰か、それはどのように選ばれるのか、という点です。ある〈社会〉を代表する・・・〈市民〉を代表する・・・冷静に考えてみると、これほど壮大で野心的なものはありません。その正統性は常に批判されるでしょう。

 ただ、個人的なことを言えば、まずはみんなで参加しようとする、というのでいいのではないかと思います。CSとして、APCとして、JCAFEとして、そして〈市民〉として、存在を主張しなければならないのです。よい例を松葉祥一が上げています。長文の上、孫引きの孫引きになってしまうのはお許しください。

「血統貴族が戦争から戻ってきたとき、かねてから貴族の統治に不満を抱いていた平民たちはアウェンティヌスの丘に逃亡し、立てこもった。そこに元老員の命を受けた使者が向かい、貴族と平民の不平等がいかに必然的であるかを説いて、説得にあたる。()すなわち、平民は言葉をもたない以上、平民と議論をする余地はないというのである。平民が言葉を持たないのは、彼らが名前をもたない存在であり、国家への象徴的登録を欠いた存在であり、生命以外は何ひとつ後世に伝えることができない存在だからである。」(松葉 1995:149-150)。

 極限してしまえば、この貴族から見た平民観は、ここギリシャのIGFにおいても、政府が〈市民〉に、企業が〈市民〉に、そして専門性をもつ者が〈市民〉に対してもっているものと重ねてみることができます。では当時、平民たちはどうしたのでしょうか。

 「彼らは、神託を諮らせるために代表者を送り、その際、その代表者に名前をつけたのである。(略)平民たちは名乗ることにとって、自らを死すべき存在から人間、つまり言葉によって約束を交わし、契約を結ぶことができる存在としたのである。」(松葉 1995:150)

 私たちが認められない存在なら、自ら名乗り上げればよい。別に権威や専門家の力を借りる必要もないわけです。まず自らの代表に名前を与え、その背後に多くの名乗り上げがおこなわれる。それでいいのではないか。「参加」と「代表」を巡ってはきりがなさそうですが、ここIGFでも小さな「名乗り上げ」が次々となされているように感じます。JCAFEとしてIGFに来ている理由もそうなのかもしれません。私個人も、少しずつ参加していければと考えています。

  • APCのオープニングナイト! 

 話を戻しましょう。次の楽しそうな写真は、同じ日にお酒を飲みながら開かれたAPCのミーティングです。APCもいよいよオープニングナイト!です。          

APCのフレンドリーなミーティング APCはこのようなミーティングで、またはon-lineで議論を積み重ね、IGFの現状を細かく把握し活動したり、CSを代表して次々と報告者を立てたりしているわけですね。エヴリバディ、ウェルカム!みたいなところもあって(まあ、知り合いしか出入りしないのですが)、どんどん意見を述べ合うフレンドリーな雰囲気は、まさに「参加」というものを体現しているように感じます(ちなみに中央に座っているのが我らが浜田代表です)。JCAFEはAPCメンバーとしてこのフォーラムに参加していますが、このblogでもAPCに協力してもらった企画を考えています。今、浜田代表と調整&準備していますので、どうぞお楽しみに。
 

 

 

 

 

 

短期集中連載 IGFアテネリポート−〈市民〉のインターネット− 第1回

Filed under: 未分類 — shibata @ 1:54:18

1回 アテネ−民主主義の原点の地から−

 やっとアテネ市街に到着しました。日本からアテネに到着する場合、大抵夜中の0:00前後になります。タクシーに乗ったのですが、不思議なヤンキー?っぽい中東系の兄ちゃんで、オリエンタル?な音楽をガンガンかけながら、一般道を150kmでガンガン飛ばします。ヨーロッパの東南端・・・すぐそこにアラブのにおいを感じました。

 ご承知のとおり、ギリシャはヨーロッパ文明の源泉です。一方、アフリカ対岸でトルコに接し、エジプト文明やイスラム文明の入り口でもあり、文化や社会の多様性を体現した地でもありました。いわば、一つの文明の出発点であると同時に、いくつもの文明の交差点でもあったのです。IGFがアテネで開かれるということが「市民」「多様性」といったあたりを意識しているのならば、とても興味深いのではないでしょうか。いずれにしても、今日は時差調整&移動日なので、空いた時間を利用して市内をまわってみようかと思います。旅の思い出blogにならないよう気をつけますので、おつきあいください。

 

  • アクロポリスに登ってみる

02aqropolis.jpg とかなんとか言っておきながら、ミーハー心には勝てず、まずはアクロポリスをめざしてしまいました。行ってみて入場無料でびっくり。今日は年に一度のギリシャの国家記念日なのだそうです。どおりでパレードが開かれていたり、町中に国旗が立ったり、そしてお巡りさんも立っているわけです。無料はいいのですがものすごい人出で、ラッキーなのかアンラッキーなのか、唯一の自由日でよりによってそんな日に出くわすあたり、先が思いやられます。

ご存じアクロポリスは古代アテネの中心、世界遺産そのものです。世に「有名なものほどがっかり名所」という格言?がありますが、アクロポリスにだけは、まったく当てはまりません。青空を従えるように白くそびえるパルテノン神殿の存在感には、どんな皮肉屋でもでも、素直に圧倒されるでしょう。色のコントラストはもちろん、水平の梁を垂直に支える円柱の力強さは、ため息をつくほどです。でも、実は柱等は直線ではなく少しずつ曲げて、工夫してつくられているのだそうです。遠くから人の目で見て垂直に、そして偉大に見えるように。これが紀元前450年頃、今から2500年近く昔に建造されたということを知れば、自然とその歴史に思いをはせざるを得ません。

 ここアクロポリスを中心としたアテネ、そしてアテネを中心としたギリシャは、単にヨーロッパ文明の出発点にとどまりません。なぜならその中に、人類の普遍的な財産となる「自由」「市民社会」という概念が包摂されていたからです。もちろん現在では、ギリシャのポリスの市民社会が地中海沿岸における奴隷制の上に成立していて、参加者も男性に限られるなど、すべてが理想的であったわけではないことがわかっています。それでも、ポリスにおいて成立した「市民」という概念、その「自由」、そしてそれが生み出した「市民社会」という在り方が、民主主義の端緒であったことは否定できません。そして現在の私たちもまた、民主主義の世界に生きているわけです。

 

  • 3つのアゴラ

アテネの古代アゴラ 当時のギリシャのポリス(都市国家)の市民社会を象徴しているのが、「アゴラ」です。アゴラがポリスの人々が集まり、議論をしたり買い物をしたりする広場であったことは、ご存じの方も多いと思います。このアゴラの存在が、アテネの市民社会を支えていたといっても過言ではないでしょう。そのため現代の日本でも、市民が自由に集まった討議空間や情報交換の場を「アゴラ」と呼ぶことがあります。

 ところで、アテネには3つのアゴラがあることをご存じでしょうか。それぞれ「古代アゴラ」「ローマンアゴラ」「現代のアゴラ」と呼ばれています。「古代アゴラ」(Ancient Agora)はまさに古代アテネの広場で、もともとは墓地だったそうです。そこに紀元前6世紀頃から市が立つようになり、買い物に人々が集まるようになり、ポリスの中心となったとされています。多くの神殿や建物の跡が残されていて、当時の盛況を忍ぶことができます。一方で「ローマンアゴラ」(Roman Agora)は、ローマ帝国の支配下に入った後のアゴラです。盛大な市場であったと説明がありましたが、若干規模が小さく見えます。その代わりに天文台として使われたと言われている「風の塔」や「ハドリアヌス図書館」があるなど、実用性を増しているように感じます。現在私たちが知っているギリシャの哲学者や文化人の多くが、ローマ支配下時代で活躍していたことを考えると、支配者が変わっても活発な社会や文化のありさまは、そう簡単に変わらないのかもしれません。もっとも古代アゴラに比べると神殿跡はあまりありません。なぜならローマ時代のギリシャはキリスト教(東方正教会・ギリシャ正教)であったからです。ローマンアゴラにはモスクもあります。アテネは、神話の世界から東方正教会、そしてトルコ支配下のイスラム教と、時代と共に宗教の移り変わりを感じることもできる街です。

 そして「現代のアゴラ」は、英語でいうと(Central Market)になります。つまり、現代ギリシャ語ではアゴラというと、市場という意味が第一義なのです。活気のある風景を期待して行ったのですが、人っ子一人いませんでした。祝日だから市場も休みというのはよく考えると当たり前ですが、活気あふれる市場の風景を期待していたので、若干寂しさを覚えました。

ローマンアゴラ

  • 古代ギリシャとIGFを重ねてみる

 とぼとぼと宿に帰りながら考えました。結局アテネにおいて、アゴラは変質したのではないかと。3つのアゴラは、それぞれ特徴がありました。その中で一つ変わらない役割は、「マーケット」でした。結果として残ったのは、自由な討議空間ではなく、市場の機能です。いや、この説明は逆でしょう。アゴラとはまず市場という意味で、人々が集まった場を意味し続けていたのであり、私たちがイメージとして持っている自由な討議空間といった意味合いは、古代ギリシャという、ある時代ある場所で限定的に表出したものにすぎないといえるのではないか。このことは、そもそもポリスの土台としてのアゴラの本質的な性格を、まさに表していると考えることができます。市があるから人が集まる。その副産物として自由な言論空間が生まれる。しかし、それは限定された状況でしか生まれない。古代ギリシャの市民社会やデモクラシーは、まず市場の交易の中ではじまっているのです。以上の仮説を、みなさんはどう思われるでしょうか。

 アテネで開かれると聞いてから、漠然と、インターネットのガバナンスについて議論するIGFが「アゴラ」のようであるといいなあと思っていました。ただ、実際にアテネに来てみて、仮にIGFが本当にアゴラであったら、どういったことになるのか、思い直さずにはいられませんでした。なぜ私たちは、インターネットに集まるのでしょうか。そこに自由な議論空間があるからでしょうか。それとも、そこに市場や利益があるからでしょうか。それを「管理」「統治」するというのは、どういうことになるのでしょうか。

 いよいよIGF会場のVouliagmeniに移動します。いろいろな視点を抱え込んで思い悩みながら、インターネット上のガバナンス=統治・管理について、自由について、民主主義について、そして〈市民〉とその社会について、IGFの動向を探っていきたいと思います。

 

 

2006/10/29 日曜日

短期集中連載 IGFアテネリポート−〈市民〉のインターネット− 第0回

Filed under: 未分類 — shibata @ 9:18:07

第0回 要注目! インターネットのガバナンス

 

  • 誰? −私のこと−

 すっかりご無沙汰しておりました。2005年の世界情報社会サミット(World Summit on the Information Society・WSIS)以来になります。各国政府の首脳、情報政策担当者(日本からは竹中平蔵前総務相でした)、インターネット関連企業(大企業が軒並み来ていました)、国連、ITUなど国際機関、そして市民社会セクターの代表者が一堂に会して、インターネットなど情報社会の行く末を熱く議論していたのが、つい一年前だったなんて、まるで夢のようです。当時は、ホストであったチュニジアの首都チュニスから、サミットの模様を短期集中連載でお届けしたのですが、読んでくださった方、またご意見くださった方(間違い指摘を含め)まことにありがとうございました。

 もっとも「夢」のように感じるのは、時間の経過ばかりでなく、あれほどまで世界的イベントであったWSISの成果や課題が、日本においてほとんど知られていないからかもしれません。ましてそれに続編があることは、大半の方がご存じないのではないでしょうか。そこでJCAFEの浜田代表と私は、WSISの続編としてのInternet Governance Forum(IGF)に出席するため、ギリシャの首都アテネに行くことにしました。私は今回も現地のレポート役を務めることになっています。前回同様、いやそれに増して、現地ならではの感覚的なみなさんにお伝えできればと考えています。ということで、まずはアテネ行きの機内からお届けいたします。

 初めての方、申し遅れました。私は柴田邦臣といいます。普段は大妻女子大学で社会情報学や福祉と情報などを担当しており、JCAFEでは一会員として臨時の現地レポータを務めます。今回も兼務のつもりなのですが、最近レポータのほうがしっくり来ているようで、ちょっと微妙です。

  • 何? −WSISからIGFへ−

 アテネ行きの飛行機も、ようやく高度が安定したようです。とはいえ日本からアテネまで直行便はありませんから、ミュンヘン経由で17時間の長旅です。この時間を利用して、ちょっと復習しておきたいと思って、APC(Association for Progressive Communication)がWSISを評価した”Pushing and Prodding, Goading and hand-holding”を読んでみることにしました。APCは古くからネットでの市民運動に取り組んでいる団体で、WSISでも市民社会セクター(Civil Society・CS)の主役を演じていました。刺激的に見えるタイトルですが、WSISからIGFへの経緯をCSの視点からコンパクトにまとめてくれています。詳細は、ぜひとも読んでみてください。

 あえて概観すれば、WSISは、これまで特段に統制されることなく自律的に“肥大化”してきた「情報社会」というものを、なんとか秩序立てようとする試みだといえるのかもしれません。APCのレポートを読むと、これまで良い意味でも悪い意味でも自由でボランタリーな色彩を濃く残していたインターネットの世界に、今、枠組みの線が黒々と引かれようとしていることがわかります。

 統制されることなく発展してきたインターネットには、それに起因する功罪がありました。悪い面から言えば、APCも指摘するように”digital divide”でしょう(APC 2006: 2)。何も制約がなくただICTが普及する過程の中では、南北格差のように持てる者がますます持ち、持てない者が持てないままになるのは自明です。何らかの制限と調整が必要になります。

 一方で、インターネットが実現した最大の利点は、これまでにない自由な情報空間だったのではないでしょうか。APCは”freedom of information” が、表現の自由や知る権利などの”human rights”の保障に大きく貢献してきたことを重視しています(APC 2006: 7)。現に、インターネットを統制しようとする過程の中で、それらの自由も管理しようとする動きはいくつもあります。そのような管理が、特に情報格差に苦しんでいる側の発展途上国に多く見られることが、インターネットにおける統制(ガバナンス)の問題を、より複雑にしています。

 ・・・とてもいいところでしたが、機内食が来てしまいました。続きは食べてからにしましょう。

 

  • なぜ? −インターネットのガバナンス−

 ミュンヘン経由だったので、ソーセージとパスタを選びました。胸焼けしそうなおいしさでした。気を取り直してAPCレポートを読み直すことにします。

さてWSISは、前述の深刻な問題をどのように解決したとされているのでしょうか。結論からいうと、あまり解決されていません。ここから長くなるので、詳細はAPCのレポート本文、ないしは前回の連載をお読みいただいた方が良さそうですが、それこそが今回IGFが開催された理由、そして私がしつこく追いかける理由なのです。

 もちろんWSISは何も成果がなかったのではありません。APCもgender, youth, disabilityなどの分野では、顕著な成果を上げたと指摘しています(APC 2006: 4)。しかし、ネットそのものの管理や公共政策の国際調整など、より多く”stakeholder”の複雑な分野において、問題は多く残されてしまいました。典型例がネットワーク管理で、WSISでは既得権益としてアメリカの影響力を認めたまま、IGFという国際的な議論の枠組みをつくるという、いかにもなんともな先送りの結論しかでませんでした。

 でも、実はそれで良かったのかもしれません。なぜなら先送りになったことで、多くのアクターがさらにインターネットのガバナンスに参加できる機会が広がったからです。APCはWSISの最大の成果を、このテーマに国家だけでなくprivate sector, international organizations, そして私たちcivil societyも”stakeholder”として参画できるようになったこと、それらが多層的にネットワークをつくったり関係を構築したりできたこと(APC 2006: 9-10)を上げています。大事なのは、私たちが日々インターネットを利用している裏側で、そのガバナンスの在り方が決定されようとしていること、そしてそのために多くの市民が、ネットワークをつくってそこに参加しようとしていることです。IGFは、まさにそのためのもっとも主要な舞台の一つなのです。私たちの使い続けている〈自由〉に、どのようなガバナンスが与えられようとしているのか、それに市民はどのように参加していくのか。それを追うことが今回の私たちのテーマです。そして、それを議論し作り上げる場そのものが、今回アテネで開かれるIGFなのです。

機内から翼をみる

そろそろ飛行機が着陸しそうです。またもや慌ただしいレポートになると思いますが、雰囲気以上のものをお伝えできればと考えています。約一週間、どうぞおつきあいください。

2006/10/28 土曜日

インターネット・ガバナンス・フォーラム(IGF)に参加します

Filed under: 未分類 — taratta @ 23:36:48

10月30日から11月2日まで、世界情報社会サミット(WSIS)を継承した議論の場であるインターネット・ガバナンス・フォーラム(IGF)の第1回会議がアテネで開かれます。JCAFEから私、浜田と会員の柴田さん(大妻女子大学講師)が参加します(私はJCA-NETとJCAFEを兼ねた形での参加です)。

直前までホテルが取れず、結局初日と最終日が取れないままアテネに来ました。最悪空港かホテルのロビーで夜を明かすつもりでいましたが、昨夜ホテルについてから交渉し、ずっと確保することができたのでほっとしています。

ここはIGFの会場までバスで5分、アテネ市街まで1時間というところです。今日はずっとホテルのロビーでパソコンに向かって作業しています。APCの他のメンバーも来ています。

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